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2013年5月

2013年5月28日 (火)

都丸哲也さん 反原発の思いを語る

既報の通り去る4月27日、「反西連」(反原発西武線沿線連合)主催の、「反原発西武線100☆駅アクション」が開催されました。この行動の趣旨は、新宿線、池袋線など西武線沿線の駅のすべてで駅頭宣伝を同時多発的に行おうというもので、沿線の様々な反原発の仲間に呼び掛けたところ、全92の駅のうち85の駅頭で宣伝活動を行うことができました。

このなかで、保谷駅とひばりが丘の駅に92歳の都丸哲也さん(元保谷市長)が参加され、マイクを握ってその熱い思いを市民の皆さんに呼び掛けました。
この時の発言の全文を入手いたしましたので、以下にご紹介します。





『なぜ日本に原発が』


 私たち日本人は、ヒロシマ、ナガサキ、ビキニ、フクシマと4たび核による非人道的な被害を体験した。
 ヒロシマ、ナガサキ、ビキニでの核(放射能)被害は、直接アメリカの戦争戦略による犠牲であったが、フクシマはアメリカがかかわっているが、日本政府の意思によって建設され「原子力の平和利用」目的だとされた「原発」による被害であった。


1.なぜ日本で原発を ―― アメリカの狙い

 アメリカは第2次世界大戦直後の数年間は、核軍事力を独占していた。
 
1949年8月29日、ソ連が原爆実験に成功したことにより、世界は核兵器開発競争の時代に入った。米ソの核軍拡競争がエスカレートする状況を見て、核戦争への不安が世界中に高まっていった。
 
1953年12月8日、アイゼンハワー米大統領は、核政策に対するアメリカの優位を誇示しようと、国連で「原子力の平和利用」政策を打ち出した。「アメリカはこの奇跡のような人類の発明を、人類滅亡のためでなく、人類の生命のためにささげる道を、全身全霊を注いで差し出す決意を皆さんの前で、ということは世界の前で誓う」と述べて、原子力発電という非軍事利用を世界的規模で推進することを表明した。
 
国防総省心理戦略委員会のコンサルタント、ステファン・ポッソーニは、「原子力が建設的な目的に使われていれば、原子爆弾ももっと容易に人々に受け入れるであろう」と助言していた。
 
1945年、アメリカ国家安全保障会議の作戦調査委員会委員トーマス・マレーは、「広島と長崎の記憶が鮮明なうちに、日本に原子力発電所をつくることは劇的な行為であり、こうすることで我々はヒロシマ、ナガサキの惨劇の記憶を乗り越えることができるであろう」と述べていた。ワシントンポスト紙は、このマレーの意見を「軍拡競争への執着から人々の気持ちをそらせるもの」であると論評し、「今では多くのアメリカ人が日本への原爆投下は不必要であったと気付いている。日本に対して原子力平和利用の手段を提供することは、日本との関係を修復するための最良の方法である」と論評したのである。

2.日本の受け入れ体制

 1954年3月1日、アメリカはビキニ環礁で水爆実験を行った。
 
漁船約800隻が危険区域から避難していたにもかかわらず、第五福竜丸が死の灰を浴び、無線長久保山愛吉さんが被ばく死亡され、漁獲したマグロは放射能汚染のため食用にならないという大事件が起こった。全国で核実験即時中止を求める大運動が展開され、署名には全国で3200万、広島では100万人が参加した。
 
そして55年8月6日、広島で初めて原水爆禁止世界大会が開かれたのであった。
 
アメリカは日本の激しい反核運動を押さえつけるため、読売新聞社主の正力松太郎氏を説得、読売新聞、日本テレビを使って「原子力の有益性」を喧伝させた。
 
正力は55年2月の衆議院選挙に出馬、当選して鳩山一郎の内閣で原子力担当大臣に就任し、56年には初代科学技術庁長官として中曽根康弘を抱き込み、原発導入の道に全力を挙げるのであった。
 
55年11月1日から12月12日までの6週間、東京で読売新聞主催の「原子力平和利用博覧会」が開催された。この博覧会は、アイゼンハワーが国連演説で打ち出した「平和利用」政策のテコとして世界各地で開いていたもので、東京では約37万人が入場したという。ついで、名古屋、大阪、広島、福岡、札幌、仙台へと巡回し、それぞれ開催地の地方有力紙が主催するという手法をとった。
 
1956年5月27日の広島での「原子力平和利用博覧会」では、山本中国新聞社長ら主催者をはじめ、政・財・学界代表550名が出席、被爆者である渡辺広島市長は、「原子力の平和利用によって、人類福祉が増進されることは、国境を越えた全世界共通の希望である。原子力の破壊力を身をもって体験した広島市において、このたび、建設的な平和利用の博覧会が開催されることは、必ずしも坦々たるものではなく、科学的にも政治的にも、経済的にも幾多の未解決の諸問題が横たわっているようでありますが、人類の英知は、必ずやこれを乗り越えて輝かしい原子力時代を迎えることは明らかであります」と述べている。
 
そしてこの年の8月6日の「平和宣言」においては、「原子力の解放が一方において人類に無限に豊かな生活を約束する半面、その恐るべき破壊力は人類の存続を根本から脅かしている」と、「核兵器=絶対悪」と「原子力平和利用=繁栄」とを対照化させて捉えていた。また、ここに出席していた電力業界の代表はもちろん、地方の政治家、平和主義者として有名な法学者たちでさえ、「原子力エネルギーの効用」について高い評価を与えていたのである。

3.被爆者の反応

(1)広島原爆被害者同盟事務局長・藤居平一さん

「あらゆる分野で原子力が人類の福祉増進のために利用されている状況はよくわかるのだが、我々の立場からすると、原子力が最初に人類の前に姿を現した原爆というツメによって今なお病床に呻吟している多くの人たちが現にいる限り・・・原子力の平和利用は一切の原水爆兵器の禁止と原爆症の根治方法の研究というこの二つが前提でなければならぬと思う。これは世界の国際道義の問題である」

(2)原水爆禁止広島協議会事務局長・森滝市郎さん

「原子力利用のうえで広島は敏感になっている。原子炉での燃えカスをどう処理するのか。原子炉はあっても、それがどこにも示されていない。利用の良い面は判るが、死の灰の危険をなくすのにどうするのか、その疑問に答えるものを見せてほしい。これは消極面についてで、積極面ではその応用の大きいこと、それがわかりやすく見せてあることで興味を持った」と述べた。
 
次いで8月に結成された日本被爆者団体協議会の結成大会宣言文で、「私たちは今日、ここに声を合わせて高らかに全世界に訴えます。人類は私たちの犠牲と苦難を再び繰り返してはなりません。破壊と死滅の方向に行く恐れのある原子力を、決定的に人類の幸福と繁栄の方向に向かわせるということこそが、私たちの生きる限りの唯一の願いです」と訴え、核兵器=死滅、原子力=生命という理解を示した。ただし、森滝市郎さんは、のちに改めて原子力エネルギー反対の立場に立ち、判断を誤ったと自己批判を文章で明確に示し、「兵器という形であれ、電力という形であれ、核と人類は共存できない」と訴え続けた。
 
しかし、正力・中曽根を軸として「安全神話」をばらまき、原発の推進。全国に54基という大量の建設が行われた。この結果日本は安保体制の下で、兵器では「核の傘」、エネルギーでは、「原発技術と核燃料の提供」という両面でアメリカに従属することになった。(資料:岩波ブックレット「原発とヒロシマ」)

4.3・11福島原発大事故

 我が国での原発事故は、これまでも大事に至らない事故がしばしば発生していたが、特に社会的問題とはならないできた。
 
福島の事故は、オバマ大統領が注目した。在日米軍司令官と在日大使の要請を受けて、CMRT(被害管理対応チーム)を日本に派遣した。3月17~19日の3日間である。
 
米軍機2機(AMS(放射能測定器)を搭載)は、700メートル上空の大気測定を行い、40キロ圏の「放射能汚染マップ」を作成して、日本政府に提供したという。
 
しかし日本政府はこれを使いこなせなかった。そこでアメリカは、①横田基地など米軍基地には顕著な放射能の脅威はない、②4号機使用済み燃料プールに火災は起きていない、ことなどを確認しつつも、「在日米国人は、80キロ以西に避難するよう」指示を行った。(日本政府は20~30キロ)
 
今回の福島事故の問題点を整理すると、次の諸点が指摘できる。①平和利用であるはずの原子力発電所で発生した爆発も、非人道的結果をもたらすという事実を知らされた、②事故から2年余を経過したが、いまだに15万以上の住民が故郷を追われたままである、③内部被ばくの実態がいまだに解明できていない、④核のごみ処理の方策が未定である、⑤発現形態は異なるが、原爆と同じ被害を生んでいる。
 
歌人の俵万智さんは、親子二人で沖縄石垣島に避難生活を送っており、その心境を次のように記している。

「 子を連れて 西へ西へと逃げてゆく
     
愚かな母というならば 言え  」

と国の無策の下、子供の将来を憂え、遠く避難生活をつづけている。


        2013年4月27日    西東京市  都丸哲也

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